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スポーツという「装置」

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著者:広瀬一郎
価格:¥ 735
オンライン出版


■ 内容紹介

出版社/著者からの内容紹介
 現在の「スポーツという概念」が成立するまでの過程には、さまざまな文化的な背景があった。ところがそれを完成した表面的な制度として我々は取り入れてしまった。日本人は制度を導入すると、その瞬間に制度を所与のものとしてしまう。そして疑うことをやめる。それは、結果としてスポーツを没社会的な存在に貶めることになるのだ。
 スポーツを制度としてではなく、装置として考え、その社会的有用性(ソーシャルパフォーマンス)を再確認することが、今、重要ではないか。


抄録(「電子書店パピレス」より)
   スポーツの社会的役割とは何か

 ユニバーサル・アクセス権という問題からスポーツの公共性について考えているときに、聞いた言葉が“ソーシャル・パフォーマンス”で、この言葉で何となく今まで整理されないままでいた考えがまとまりました。
 97年4月にアメリカのフィラデルフィアで、“プレジデンシャル・プログラム”というプロジェクトが始まりました。これはクリントン大統領をはじめ生存する前・元の大統領、それに全州の知事が集まって、ドラッグやストリートチルドレンなどの問題解決に一致団結して取り組もうと始めたものです。このプログラムを実際にまとめたディレクターの一人が来日した際、話をする機会がありまして、その時彼から聞いた言葉が“ソーシャルパフォーマンス(Social Performance)”でした。聞き慣れない言葉でしたので、どういう意味か彼に尋ねました。
 ソーシャルレスポンスビリティー(Social Responsibility)という言葉とよく似ており、一種の“社会的責任”と考えていいと思います。ただソーシャルレスポンスビリティーには“責任をとりなさい”といった威嚇的な意味合いがあります。
 その裏には、「責任をとる側」と「とらせる側」といった対立した関係があります。しかし、現在の子どもの問題、スポーツの問題、環境の問題のどれをとってみても、そういう関係ではなく、ほとんど全員が当事者です。あの人がいいとか、悪いといった単純な構造ではないことがだんだんはっきりしてきました。公共的な問題というのは実は全員が当事者であって、当事者でないものはいないということです。
 ですから、ソーシャルレスポンシビリティーとは意味が違ってきます。ソーシャルパフォーマンスは、あなたは(あなた自身もその一員である)社会に対して何ができるのか、社会にどう寄与するのか、を問います。
 ネガティブなアプローチからポジティブなアプローチで問題解決を考えるためにアメリカで生まれた言葉です。この言葉が、いま私のスポーツについて持っている問題意識を非常に的確に表していると思っています。(この点については本文中で詳しく触れます。)「スポーツとは何か」といいましても、それは定義論ではありません。“What is スポーツ”ではなく、“Why?”を問わなければいけないと思います。なぜ、いまスポーツが必要なのか、なぜ、スポーツが世界でこれほど人気になっているのか。スポーツが社会的に大きなポジションを占めているこの社会の中で、“Why?”を問わないでスポーツとは何かが分かるはずもありません。
 ワールドカップを開催するためには、そこを理解しておかなければならないのでは? というのが、私の素朴な疑問です。だれも疑問を投げかけないで、だれもそれに答えようとしないで、だれもそれを考えようとしないまま、終了してしまった長野五輪という前例があります。
 当事者たちは考えたと言うかもしれませんが、少なくとも日本人の大部分の人たちは、たしかに船木選手の笑顔や原田選手の泣き顔を見て感動はしましたが、巨額のお金を投じたオリンピックとは、いったい日本という社会にとって何だったのかということを理解していたのでしょうか。


著者について
 広瀬 一郎(ひろせ いちろう)
 1955年(昭和30年)静岡県にて誕生
 1974年(昭和49年)静岡県立藤枝東高等学校卒業
 1980年(昭和55年)東京大学法学部卒業
 同年4月      株式会社電通入社
 スポーツ・ビジネスに長く携わる。99年12月からJリーグ経営諮問委員。

 著作/「プロのためのスポーツマーケティング」(94年電通刊)
    「メディアスポーツ」(97年読売新聞社刊)

 連載/「2002静岡への道」連載中(静岡新聞)

■ カテゴリ




「スポーツという「装置」」紹介ページの最終更新日時
2006年4月8日 21:27:20
ID:1552
※実際の販売・ダウンロードは『電子書籍パピレス』にて行われます。